《この記事の執筆者》
地方国立大学医学部卒業後、横浜市内の中核病院で初期臨床研修を終え、都内の大学病院、小児専門病院等の勤務を経て、現在は関東の基幹病院で麻酔科として勤務。
本記事では、水素吸入療法が先進医療Bとして認定された経緯、研究結果や先進医療Bからの取下げ理由について解説していきます。
なぜ先進医療Bとして認定され、そして取下げられたのかについて理解しておくことは、水素吸入を取り入れる上で非常に大切になるので、ぜひ最後までご覧ください。
水素吸入療法が先進医療Bに認定された背景
水素吸入療法は2016年に厚生労働省によって「心停止後症候群」を対象として先進医療Bに認定されました。
心肺停止症候群とは何か、水素吸入療法が先進医療Bの認定に至った経緯について以下で解説します。
心肺停止後症候群とは
心肺停止症候群とは一言で言うと、心肺停止後の蘇生の際に発生する二次的な傷害のことです。
心拍が停止すると脳をはじめとした全身の臓器に血流が巡らなくなります。その後、蘇生処置によって心拍が再開すると再び血液が巡ります。それ自体は良い事のように思われますが、実は急に血液が巡ることで重篤なダメージがもたらされ、これを心停止後症候群と呼びます。具体的には、脳障害、心筋障害、全身性虚血再灌流障害が生じます。
この心肺停止症候群を防ぐまたは緩和できる可能性があるとして、水素吸入療法が注目されていました。
水素吸入療法に期待されている効果
水素吸入療法は体内の有害物質を取り除く働きがある水素を吸入する療法で、様々な病気や症状に対して効果があることが動物実験で確認されています。
しかし、ヒトに対して同様の効果があるか不明であったため、心停止後症候群を対象とした研究でその有効性を評価するために、先進医療Bに認定され研究が進められました。
研究対象として具体的に水素吸入療法に期待されていたものは、主に生存率改善や脳機能の損害抑制です。それまでの動物実験により心停止後に水素ガス吸入を行うことで死亡率の低下や脳の傷害の軽減ができると報告されていました。
しかしヒトに対しは不明な部分が多かったため、同様に心停止後症候群によるダメージを水素吸入が軽減できるかを明らかにすることが期待されていました。実際にダメージを軽減することができれば社会復帰に結びつく症例が増えることになるためです。
先進医療とは?
日本では本来、自由診療と保険診療は併用することができません。自由診療を行う場合には、同時に行う医療が単独では保険診療に該当するものであっても医療保険を利用することができなくなってしまいます。つまり全額を自己負担する必要があります。
では、先進医療とは何でしょうか。現時点ではそれ自体は保険診療ではありませんが、将来保険診療となる可能性がある医療と判断されるものは、厚生労働省によって先進医療に認定されます。先進医療に認定されると、一定の条件を満たした場合に保険診療と併用可能になるため、数多ある自由診療とは一線を画すものとなります。
先進医療Bとしての水素吸入療法の臨床試験内容と結果
本研究は、国内 15 施設が参加した比較的規模の大きな研究です。病院外で心停止になり、心拍は再開したものの意識が回復しなかった症例を対象としています。
現在推奨されている体温管理療法に加えて、水素投与群(39人)と水素非投与群(34人)の合計73人が対象となり比較検討されました。水素投与群は、人工呼吸器を用いて2%水素添加酸素を18時間吸入しています。
先進医療Bとしての結果は…
その結果は驚きとさらなる期待をもたらすものでした。まず、本研究において水素投与による明らかな副作用はなかったこと。
そして、90日後に症状・障害がなく回復した人の割合は、水素非投与群 21 %に対して、水素投与群 46 %と倍以上となりました。また、生存率は、水素非投与群 61 %に対して、水素投与群 85 %と20%以上も高い割合が生存しました。
後述する理由のために本研究は予定した規模より縮小され、統計的にはその差を確定的なものにできなかったものの、かなり期待の持てる結果が示されました。
水素吸入療法が先進医療Bから取り下げられた理由
「水素吸入療法が先進医療Bから取り下げられた」と聞いて、「水素吸入療法は効果がなかった」という考えを持つ方もおられますが、それは間違いです。それが、なぜ間違いなのか、そしてなぜ取り下げられたのかについて以下で解説していきます。
新型コロナで医療崩壊
慶應義塾大学のこの研究は2016年から行われていましたが、2020年頃にはCOVID-19診療が最優先課題となり、一時は医療崩壊が叫ばれる状況となりました。当時、COVID-19診療と併行して本研究を行うことは、世間の医療におけるニーズにフィットしないばかりか、ひっ迫する救急医療現場ではもはや困難となっていました。
結果的に、予定症例数360例を達成することができず、登録症例数73例の時点で、「新たに症例を組み入れ難く、予定症例数に達することが困難」として中止が決定されました。また、この中止を受けて先進医療Bから取り下げられました(2022年3月)。
「効果がない=取下げ」ではない理由
ここで重要なことは、治療成績が悪かったために中止されたのではなく、COVID-19に関連して研究の続行が困難と判断されたために中止されたということです。実際、先述したように研究対象となったデータでは、統計的に有意ではないものの水素吸入群と非吸入群で著しく生存率や後遺症の有無の割合に違いがみられています。
「予定症例数に達することが困難なため中止」とされたのは、今後あらためて保険診療として適格かどうか評価を受けることができるためです。
水素吸入療法の今後:まとめ
水素吸入療法は、上記の研究がCOVID-19 の影響を受け、十分な症例数が集められなかった影響で先進医療Bから取り下げられてしまい、同時に統計学的にその差を確定的なものにすることができませんでした。しかし、その研究結果は大いに期待がもてる内容でした。
本研究は神経領域に注目したものですが、現在では水素吸入療法はがんや生活習慣病などの疾患だけではなく、美容や疲労回復など様々な面で期待され、盛んに研究が進められています。
水素吸入療法が一般的な保険診療に至るには、越えねばならないハードルがいくつかあり、さらなる研究が必要です。現段階では、副作用がないことを踏まえて、水素吸入療法を取り入れる場合は、それぞれの疾患に対する現行治療の補助的な位置づけで行うとよいでしょう。