《この記事の執筆者》
名古屋大学医学部卒業後、名古屋大学医学部附属病院放射線科入局。その後、放射線科医として一般的な読影や放射線治療を担当。コロナ禍では保健所で行政の立場から感染症対策にも携わった。現在は、放射線治療に携わる一方、健康診断クリニックにて健康診断を受ける方の診察や結果の説明、生活指導に従事。医学博士、放射線治療専門医、日本人間ドック・予防医療学会認定医、日本医師会認定産業医。
敗血症は、感染症が原因で免疫反応が過剰に働き、全身に深刻な影響を与える生命を脅かす状態です。
特に敗血症性ショックと呼ばれる重症の状態では、死亡率が非常に高く、早期の診断と治療が不可欠です。
最近、水素吸入療法が酸化ストレスの抑制や炎症の軽減に効果があるとして、敗血症の予防や改善に注目されています。
本記事では、敗血症の症状や原因などの基本的な知識から、水素吸入がどのように敗血症の発症を抑え、症状の改善に寄与する可能性があるのか、最新の研究をもとに解説します。
敗血症とは
敗血症(Sepsis)は、体内に侵入した感染症が原因となり、免疫反応が過剰に活性化して全身に影響を及ぼす生命を脅かす状態です。特に細菌やウイルスが血流に入り込み、体全体に感染が広がることで引き起こされます。
日本では、2010年から2017年の間に約200万人の成人入院患者が敗血症を発症し、約36万人が死亡したと推定されています。1)
敗血症は早期の診断と治療が鍵となり、適切な対応を怠ると命に関わる可能性がある病態です。
敗血症の主な原因
敗血症を発症するメカニズムは様々考えられています。原因となる疾患としては肺炎が最も多く、胆道系感染症や腹膜炎などの腹腔内感染症、尿路感染症、蜂窩織炎や壊死性筋膜炎などの皮膚軟部感染症が代表的です。3)
敗血症の発症機序とメカニズムについては以下のようなものが考えられています。4)
- 炎症性サイトカインの過剰放出
- 酸化ストレスの作用(活性酸素種、ROSの過剰放出)
- 好中球機能障害
- 微小循環障害
- ミトコンドリア機能障害
- 酸素供給と酸素消費の不均衡
- 免疫・代謝障害、凝固障害
敗血症の発症機序やメカニズムは複雑で、十分に解明されていません。4)
敗血症の主な症状
敗血症の主な症状は、発熱、寒気、呼吸困難、頻脈、低血圧、乏尿、意識レベルの低下などがあります。重症化すると臓器不全やショック状態に陥ることもあります。3)
敗血症が進行して、「敗血症性ショック」と呼ばれる危険な状態になることがあります。
この状態では、細菌の毒素や心臓にかかる負担で心臓が弱り、全身に十分な血液を送りだせなくなります。血液が体に十分にいきわたらないために、体の組織はエネルギー不足になり、乳酸という老廃物を血液中に多く放出します。その結果、血液が酸性に傾く(アシドーシス)状態になってしまいます。
この敗血症性ショックは、敗血症の中でも最も重症な状態であり、患者の死亡率が40%を超えてしまいます。3)
敗血症の標準的な治療
敗血症と認識された場合には感染源が特定される前に抗菌薬を投与し治療します。また、点滴による体液管理、血圧を維持するための薬剤としてノルアドレナリンなどの血管収縮薬の使用なども行われます。3)
多くは改善がみられ、社会復帰が可能です。しかし、敗血症性ショックになると、死亡率も高いという現状があります。
水素吸入は敗血症の予防・改善に効果はある?
敗血症は、感染症が全身に広がり、免疫反応が過剰に活性化することで臓器障害やショック状態を引き起こし、命に関わる状態です。特に「敗血症性ショック」と呼ばれる重症のケースでは、死亡率が非常に高く、迅速な対応が求められます。
水素吸入療法は、酸化ストレスの抑制や炎症反応の軽減に有効であり、敗血症の治療における補助的な役割として注目されています。ここでは、最新の研究を基に、水素吸入療法が敗血症の予防や症状改善にどのように役立つかを説明します。
敗血症の予防の可能性
水素吸入が酸化ストレスを抑制するメカニズムに基づき、敗血症の予防に効果がある可能性が示唆されています。
水素分子は、悪性の活性酸素種(ROS)を選択的に減少させることが報告されています。4)
これにより細胞や組織が過剰な酸化ストレスから保護されることが期待されます。敗血症はしばしば、感染による炎症反応が免疫系の暴走を引き起こし、それが全身に広がることで発症します。この過程において、酸化ストレスの抑制が免疫反応を適切に制御するため、敗血症の発症を防ぐことができるかもしれません。
例えば、敗血症のモデルマウスで行われた研究では、水素ガスの吸入により酸化ストレスが大幅に減少し、炎症反応の抑制が確認されました。このことから、水素吸入が敗血症の予防に役立つ可能性が示唆されています。しかし、これまでの研究は主に動物実験に限られており、人間での予防効果を確認するためには、大規模な臨床試験が必要です。
敗血症の症状改善の可能性
動物実験や初期の研究によれば、水素吸入が敗血症患者の症状を改善する可能性があります。
例えば、敗血症のモデルマウスにおいて、水素吸入が炎症マーカーの低下、臓器損傷の軽減、酸化ストレスの減少をもたらしたことが報告されています。さらに、サイトカインなどの炎症性分子の生成が抑制され、臓器不全の進行を遅らせる効果も期待されています。
ただし、これらの効果が人間の敗血症患者にどの程度適用できるかは、今後の臨床研究が必要です。4)
【私はこう考える】水素吸入と敗血症
水素吸入療法は、敗血症の治療において注目されている新しい補助的手法ですが、現時点ではその有効性を証明する十分なエビデンスが揃っているわけではありません。動物実験や一部の初期臨床研究では、酸化ストレスの抑制や炎症反応の軽減といった効果が示されているものの、人間における長期的な効果や安全性に関しては、まだ研究が進行中です。特に敗血症のような重篤な状態においては、抗生物質や集中的な治療が優先されるため、水素吸入療法はあくまで補助的な位置付けとして考えられます。
医療の現場で新しい療法を導入するには、効果だけでなく安全性の確認も極めて重要です。水素吸入療法は、酸化ストレスを軽減するメカニズムが期待されていますが、実際にどのような患者にどのようなタイミングで適用すべきかについては、明確な指針がまだ確立されていません。そのため、標準的な治療と併用する際には、慎重な判断が必要です。特に、敗血症のように急速に進行する病態においては、遅れのない治療が重要であり、水素吸入療法が主治療の代わりになることは現時点では考えにくいでしょう。
ただし、今後の研究によっては、敗血症患者の治療において有効な補助療法として位置付けられる可能性もあります。酸化ストレスや炎症性疾患に関する研究が進む中で、水素吸入療法は、特に重篤な患者における補助的な治療法として期待が寄せられています。また、感染症が広がる前の予防的なアプローチとしての可能性も検討されています。こうした新しい治療法が普及するためには、さらなる大規模な臨床試験とエビデンスの蓄積が不可欠です。
参考文献
- ビッグデータが明らかにする日本の敗血症の実態 ―超高齢社会の新たな課題― 千葉大学
- 敗血症 | 公益社団法人 日本WHO協会
- 敗血症.日内会誌.2018;107:2252-2260.
- Qiu P, Liu Y, Zhang J. Recent Advances in Studies of Molecular Hydrogen against Sepsis. Int J Biol Sci. 2019 May 11;15(6):1261-1275. doi: 10.7150/ijbs.30741. PMID: 31223285; PMCID: PMC6567800.
- https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6567800/