《この記事の執筆者》
国立大学医学部卒。大学病院で25診療科を経験したのち、大阪や愛知、静岡、徳島など各地域の拠点病院で科の垣根を越えて診療に従事。基礎医学研究をしていた期間もあり、研究発表では最優秀賞を受賞。その後東京都の公立病院で内科全般、精神科、麻酔科、産婦人科、救急医療などに携わる。
がん治療後に起こる放射線顎骨壊死(がくこつえし)は、顎の痛みや腫れ、骨の露出などの症状を引き起こし、生活の質を大きく低下させる難治性の合併症です。
現在、標準的な治療法が確立されていないため、新たな治療法の発見が急務とされています。
そんな中、注目されているのが水素吸入です。水素が持つ強力な抗酸化作用によって、放射線顎骨壊死の予防・改善に寄与する可能性があると期待されているのです。
本記事では、がんの放射線治療にとって引き起こされる放射線顎骨壊死の基礎知識から、水素吸入と放射線顎骨壊死の関係について最新の研究報告をもとに詳しく解説していきます。これから放射線治療を始められる方やすでに放射線治療中の方に役立つ内容なので、ぜひ最後までご覧ください。
放射線顎骨壊死とは
放射線顎骨壊死(がくこつえし)は、がんの放射線治療後に起こる合併症の1つです1)。
顎の痛みや腫れを起こし、顎骨が露出する場合もあります。
放射線治療の終了後、半年から数年経ったころに、抜歯をきっかけに生じるケースが多いとされています2)。有病率は5%から15%と幅広く、放射線治療後の3年間に最も多く発生します。
発生頻度は高くありませんが、難治性のため痛みが持続し、 QOL(生活の質) を大幅に下げてしまうことが放射線顎骨壊死の問題点です3)。
治療法を確立すべくさまざまな研究が行われています。
放射線顎骨壊死の原因
放射線顎骨壊死の原因は、がんの放射線治療によって細胞が傷つくことです。
放射線による合併症のほとんどは、水分子と放射線が相互作用を起こし、活性酸素が生成されることで生じます4)。
活性酸素は細胞を傷つけ、慢性炎症や壊死などの症状を起こします。
口腔がんや中咽頭がんのような頭頸部に生じたがんの放射線治療では、下顎骨への放射線照射が避けられません1)。
すると下顎骨の血流が悪くなったり繊維化したりするなど、感染を起こしやすい状態になり、歯の治療をきっかけに下顎骨の壊死にいたる場合があります。
放射線顎骨壊死の症状
初期には無症状な場合が多いですが、病変が進行するにつれて難治性疼痛、感覚異常、口臭、味覚異常、骨の露出など、さまざまな症状が生じます4)。
さらに症状が進行すると、顎の皮膚につながる穴があいてしまったり、骨折したりすることがあります。
命に関わる合併症を起こす可能性があるため治療が必要です。
放射線顎骨壊死の治療
放射線顎骨壊死に関する多くの研究が行われてきましたが、標準的な治療法はいまだ見つかっていません4)。
現時点では、抗生物質の投与や患部の洗浄などが行われます1)。
症状が進行して顎の皮膚につながる穴があいてしまったり、骨が折れてしまったりした場合には、壊死した骨を取りのぞく手術が必要になります。
水素吸入は放射線顎骨壊死の予防・改善に効果はある?
水素には抗炎症効果があることから、さまざまな疾患の治療に使用できると考えられ、多くの研究が行われてきました4)。
放射線顎骨壊死は難治性で、長期にわたって痛みを生じるためQOLの低下が問題となり、予防法や治療法の発見が期待されています2)。
最近の研究では、放射線顎骨壊死に水素が有効であるという仮説が報告されました4)。
どのような研究なのか見ていきましょう。
放射線顎骨壊死の原因は活性酸素
放射線顎骨壊死の発症メカニズムは解明されていませんが、放射線の照射部位では活性酸素の産生が過剰になり、慢性炎症や壊死が起こることが研究により示されています4)。
活性酸素にはいくつかの種類がありますが、そのなかで最も放射線障害の原因となるのがヒドロキシルラジカルです。放射線誘発性の細胞損傷のうち、約60%〜70%がヒドロキシラジカルによって生じます。
研究によって、水素がヒドロキシラジカルを選択的に還元し、抗酸化作用と抗アポトーシス作用を示すことが明らかになりました。
ヒドロキシルラジカルを還元すると、放射線による損傷から細胞を保護できます。
放射線照射によって生じたヒドロキシラジカルを水素が速やかに除去することで、放射線顎骨壊死の予防効果が期待できると推測されています。
水素が放射線顎骨壊死を軽減させた
別の研究では、顎骨壊死モデルラットにおける水素の保護効果を調べました5)。
ラットおよび実験細胞に水素を前処理してから放射線を照射し、実験細胞の活性酸素と細胞分化の測定が行われました5)。
また、放射線顎骨壊死に対する水素の予防効果を、肉眼的臨床所見、マイクロCT、および組織学的に検討しています。
研究結果は以下のとおりでした。
- 水素は、放射線照射後の実験細胞における活性酸素産生を有意に減少させた。
- 照射前に水素で前処理することで細胞生存率が上昇した。
- 水素は、放射線照射を受けた細胞の細胞分化能を有意に増加させた。
- 水素水を投与したラットは、水素水の投与を受けていないラットと比較して、開口障害、唾液過多、脱毛、口腔内潰瘍が有意に改善し、骨壊死も少なかった。
- 放射線を照射すると損傷修復に関わる細胞が蓄積したが、水素で前処理したラットではこの細胞が減少した。(つまり修復する必要がなくなり細胞が減少した)
この研究によって、水素は放射線顎骨壊死の予防・治療に有用であると示唆されました。
水素水が用いられた研究ですが、水素吸入でも同様の研究を行えば放射線顎骨壊死の軽減効果を実証できるかもしれません。
【私はこう考える】水素吸入と放射線顎骨壊死
放射線顎骨壊死への水素吸入の有効性について解説しました。
放射線顎骨壊死の原因が活性酸素であること、そしてその活性酸素に対して水素が有効だと研究により示されたのは、大きな成果だといえます。
しかしながら、今回取り上げた研究では水素水が用いられていたように、水素吸入と放射線顎骨壊死についての研究報告は現在ありません。
また、ヒトでの臨床研究もされていないことから、放射線顎骨壊死に対しての水素吸入の研究はまだ発展途上の段階です。
ただし、放射線顎骨壊死の有効な治療法がないからこそ、水素吸入は数少ない治療手段の1つとなる可能性は十分にあり得ます。
今後、水素吸入がヒトでの放射線顎骨壊死に対して有効な可能性の報告がますます増えていくことを期待しています。
参考文献
- 放射性下顎骨壊死の治療|東京大学大学院医学系研究科 形成外科学分野
- がん治療と口のケア -がん治療を乗り越えるために-|テーマパーク8020
- 放射線性顎骨壊死に対する治療方針の 実態ならびに有効性に関する研究|国立がん研究センター中央病院
- Chen, Y., Zong, C., Guo, Y., & Tian, L. (2015). Hydrogen-rich saline may be an effective and specific novel treatment for osteoradionecrosis of the jaw. Therapeutics and clinical risk management, 11, 1581–1585. https://doi.org/10.2147/TCRM.S90770
- Chen, Y., Zong, C., Jia, J., Liu, Y., Zhang, Z., Cai, B., & Tian, L. (2020). A study on the protective effect of molecular hydrogen on osteoradionecrosis of the jaw in rats. International journal of oral and maxillofacial surgery, 49(12), 1648–1654. https://doi.org/10.1016/j.ijom.2020.04.011