《この記事の執筆者》
2005年鳥取大学医学部卒。研修医時代に総合診療医としての研鑽を積み、2008年より脳神経内科医として約10年間、鳥取大学病院に勤務。2017年より鹿児島の一般病院でプライマリケア医として従事した後、2019年10月より患者中心の主体的医療の実現を理念に掲げたオンライン診療クリニック「たがしゅうオンラインクリニック」を開業。現在に至る。
外傷性脳損傷は、事故や転倒などによって脳が損傷を受ける状態で、後遺症が残ることも少なくありません。
この脳損傷に対し、水素吸入療法が注目されています。
本記事では、外傷性脳損傷の基礎知識から、水素吸入がどのように予防・症状改善に役立つ可能性があるのかについて、これまでの研究報告をもとに解説していきます。
外傷性脳損傷とは?
外傷性脳損傷とは、転倒や打撲など何らかの理由で頭に強い外力が加わった際に、脳組織を損傷してしまうことをいいます。
ここでは外傷性脳損傷の基礎について解説させて頂きます。
外傷性脳損傷の主な原因
基本的には強い外からの力が脳に加わった場合に、外傷性脳損傷は起こり得ます。
ただ比較的弱い外力であっても、たとえば大量飲酒者や、血液をサラサラにする薬の服用者など、外力を受ける人の状態によっては、軽い外傷でも外傷性脳損傷が起こる場合もあることにも注意が必要です。
外傷性脳損傷の主な症状
脳は様々な機能を司っている全身の神経の司令塔ですので、脳のどの部位に損傷が加わるかによって症状は変わってきます。
まず全体的に脳に衝撃が加わったけれど、脳には大きな損傷がないという場合は、「脳震盪(のうしんとう)」と呼ばれ、以下の症状が出る場合があります。
- 意識の消失
- 記憶喪失
- 頭痛
- めまい
- ふらつき
- 力が出ない
- 集中できないなど
ただし、脳震盪の場合は、症状が出る期間は一時的で、時間とともに軽快する場合がほとんどです。
損傷があった場合の症状
それに対して脳に物理的な損傷が加わった場合は、基本的には症状が持続し、場合によっては後遺症が残ります。
症状の種類については、たとえば脳の中の運動に関する神経が走る場所が損傷されると力が入らなくなる麻痺症状が出ます。
感覚に関する神経が損傷されると、感覚がわかりにくくなるしびれの症状が出ます。
また損傷の部位が広範囲にわたると、めまい、けいれん、意識障害をきたすこともあります。
外傷性脳損傷の標準的な治療
症状が軽い場合は、「脳震盪」などの一時的な現象である可能性を考えて、様子を見ることも多いです。
ただ症状が持続する場合には、リハビリテーションが治療の中心になります。
後遺症を最小限にすべく、残った脳機能を最大限に発揮できるように専門家の指導の下、継続的な訓練を行います。
それでも症状が改善しない場合、残った症状に応じて、その症状を和らげる働きを持つ薬が併用される場合もあります。
具体的には、抗うつ剤・抗精神薬・抗てんかん薬・抗不安薬・睡眠薬などの薬が使用されます。
水素吸入は外傷性脳損傷の予防・改善に効果はある?
残念ながら重い後遺症が残る場合もあり、外傷性脳損傷による機能回復を促すことのできる根本治療が切望されている状況です。
そんな外傷性脳損傷に対して、水素吸入療法が注目を集めています。これまでに発表されている研究報告についてみてみましょう。
外傷性脳損傷の症状改善の可能性
外傷性脳損傷に対して水素吸入療法の効果を検証する研究は、2010年あたりから盛んに行われてきているようです。
一番最初に報告したJiらの研究によれば、外傷性脳損傷のモデル動物(ラット)に対して、2%の水素を5分から5時間吸入すると、血液脳関門の損傷、脳浮腫、病変量が著しく軽減し、後遺症の症状が改善したことが示されています1)。
そのメカニズムとしては、抗酸化作用、抗炎症作用、アポトーシス(プログラムされた細胞死)の抑制などが考えられています。
また同様に水素の有効性を示唆する論文がその後数年間で10本以上報告されていますが1)、いずれも実験動物における成果です2)。
人での効果を立証するには、ヒトを対象とした大規模な研究が必要です。しかしながら、ヒトの外傷性脳損傷に対して水素吸入療法の効果が検証された研究はまだ報告されていないようです(2024年9月現在)。
外傷性脳損傷の予防の可能性
外傷はいつ何時起こるとも限らない出来事なので、外傷性脳損傷が発生する時期を予測することは基本的に困難です。
ただスポーツを行う際や危険な作業を行う場合など、外傷性脳損傷のリスクが高い場面はあるかもしれません。
今後、水素吸入療法の外傷性脳損傷に対する効能が明らかになってくれば、外傷のリスクが高い場面の前に予防的に水素吸入療法を行っておくという選択肢は出てくるかもしれません。
ただ現時点では予防効果は不明なため、今後の研究進展が待たれるところだと思います。
【私はこう考える】水素吸入と外傷性脳損傷
外傷性脳損傷は誰にとっても無関係な話ではありません。それは、いつ何時、誰が外傷に遭遇するとも限らないからです。
また後遺症となるケースもあり、標準的治療が必ずしも十分な効果をもたらしているとは言いがたい実情があると思います。
そのような中で、水素吸入療法は新たな治療の選択肢としての研究が着実に進められて来ています。
今回ご紹介した研究は動物を対象としているため、人でも効果があると言える段階ではありません。
そのため実用化にはまだまだ様々な壁がありますが、今後さらに研究が進めば有効性が明らかになっていく可能性はあると思います。
今後、水素吸入療法がその選択肢の一つとして発展していくことを期待したいと思います。
参考文献
- Hu HW, Chen ZG, Liu JG, Chen G. Role of hydrogen in traumatic brain injury: a narrative review. Med Gas Res. 2021 Jul-Sep;11(3):114-120. doi: 10.4103/2045-9912.314331. PMID: 33942782; PMCID: PMC8174410.
- Shin SS, Hwang M, Diaz-Arrastia R, Kilbaugh TJ. Inhalational Gases for Neuroprotection in Traumatic Brain Injury. J Neurotrauma. 2021 Oct 1;38(19):2634-2651. doi: 10.1089/neu.2021.0053. Epub 2021 Jun 8. PMID: 33940933; PMCID: PMC8820834.