《この記事の執筆者》
2011年国立大学医学部卒。初期臨床研修を経て総合診療医として勤務しながら、さまざまな疾患の患者さんに向き合う治療に従事。医療行政に従事していた期間もあり、精神福祉、母子保健、感染症、がん対策、生活習慣病対策などに携わる。結核研究所や国立医療科学院での研修も積む。2020年からは医療法人ウェルパートナーで主任医師を勤める。
抗がん剤治療はがん細胞の増殖を抑える一方で、筋肉損傷を含む多くの副作用を引き起こすことがあります。特にパクリタキセルなどの抗がん剤では、20〜60%の患者に筋肉痛やこわばりが発生し、QOL(生活の質)を低下させる要因となることが知られています。
このような副作用に対し、「水素吸入」が筋肉損傷の予防や改善に効果があるのではないかという期待が高まっています。
本記事では、抗がん剤による筋肉損傷が起こる原因やその症状などから、水素吸入がどのように予防や改善に役立つのかを解説していきます。抗がん剤治療を受けられる方にとって役立つ内容ですので、ぜひ最後までご覧ください。
抗がん剤治療による筋肉損傷について
抗がん剤はがん細胞の増殖を妨げてがんを縮小させる薬剤です。手術、放射線治療とともに「がん治療の三本柱」の1つとされ、多くのがん患者が抗がん剤に救われています。
しかし、抗がん剤は正常な細胞にもダメージを与えてさまざまな副作用を引き起こします。筋肉損傷もその一つであり、日常生活に支障を来すケースも少なくありません。
特に、パクリタキセル、ドセタキセル、ビンクリスチン、シスプラチン、ドキソルビシン、ニボルマブなどの様々な種類のがんに使用される抗がん剤で発症しやすいとされています。特に発症率が高いのはパクリタキセルで20~60%に筋肉損傷が現れるとされています。
まずは、抗がん剤治療による筋肉痛の原因、症状、対処方法について詳しく見てみましょう。
抗がん剤治療による筋肉損傷の原因
抗がん剤治療による筋肉損傷にはいくつかの原因があります。
具体的には以下のような原因で発症すると考えられています。
- 抗がん剤自体の直接的な筋肉や神経へのダメージ
- 抗がん剤のよって産生される活性酸素による筋肉の炎症
- 過剰に作用した免疫機能による攻撃
- 筋肉のエネルギー代謝の異常
抗がん剤治療による筋肉痛の明確な発症メカニズムは分かっていない部分もありますが、これらの様々な要因が重なって発症する場合があります。
抗がん剤治療による筋肉損傷の症状
抗がん剤治療による筋肉損傷の現れ方には個人差があり、以下のような症状を自覚しやすいとされています。
- 筋肉の痛み
- 筋肉の圧痛(触れたり押したりすると生じる痛み)
- 筋肉のこわばり(筋肉が硬くなって動きが鈍くなる)
- 疲労感や倦怠感
症状の重症度や持続する期間には個人差がありますが、重症な場合には慢性的な疲れやだるさの原因となります。その結果、QOLや活動性が低下することもあります。
つらい症状に悩まされた場合は、軽く考えずに主治医に相談しましょう。
抗がん剤治療による筋肉損傷の対処方法
抗がん剤治療による筋肉損傷への対処法は症状の程度や現れ方によって異なりますが、一般的には症状に合わせて以下のような対処が行われます。
- 鎮痛剤の使用
- マッサージ
- 温熱療法(温かいタオルなどで筋肉を温める)
- 軽い運動やストレッチによる血行促進
- 食事療法
抗がん剤治療による筋肉損傷は、すべての患者に確実な効果がある対処方法は現在のところ確立されていません。
これらの対処方法を試しながら、ご自身にあった方法を見つけることが大切です。
水素吸入は抗がん剤治療による筋肉損傷の予防や改善に役立つ?
抗がん剤治療による副作用の一つである筋肉損傷は現在のところ確立した予防方法はありません。また、症状を和らげるための対処法はあるものの、十分な効果が実感できずに悩まれている患者も少なくないでしょう。
現在のところ、水素吸入が抗がん剤治療による筋肉損傷を直接的に予防、改善できることを結論付けた研究結果は報告されていません。
一方で、水素分子と筋肉損傷の関係を示した研究結果や水素吸入で除去できる活性酸素と筋肉損傷との関係を示した研究結果は報告されています。
具体的にどのような内容なのか詳しく見てみましょう。
抗がん剤による筋肉組織へのダメージを水素分子が予防する?
2024年、日本の研究チームは水素分子が抗がん剤によって生じる組織へのダメージの抑制に役立つ可能性を示唆する論文を報告しました1)。
この論文は、これまでの様々な研究結果をまとめて結論を導き出す総説論文です。これまでの研究結果から、水素分子の投与は抗がん剤による心臓、肝臓、腎臓、神経などの組織の酸化ストレスと炎症を抑えて、組織へのダメージを有意に減少させることが明らかとなりました。
水素吸入が抗がん剤治療による筋肉損傷を予防できる可能性
この総説論文は、水素分子が抗がん剤による組織へのダメージを予防、改善する効果を持つ可能性を示しました。筋肉組織に対しての直接的な言及はありませんが、抗がん剤による筋肉損傷の発症には活性酸素が関係しているため、同様に水素分子を投与すれば筋肉組織へのダメージを予防できる可能性があると考えられるでしょう。
水素吸入は効率よく活性酸素を除去できるため、抗がん剤治療による筋肉損傷の予防に役立つ可能性は期待できます。具体的な効果を立証するにはヒトを対象として大規模な臨床研究が必要ですが、今後の進展を待ちましょう。
抗酸化物質が抗がん剤治療による筋肉損傷を改善する?
2011年、アメリカの研究チームは抗がん剤の一種(ドキソルビシン)が筋肉での活性酸素の生成を増加させ、筋肉の疲労感を引き起こす可能性を示唆する研究結果を報告しました2)。
この研究はマウスを用いた動物実験です。ドキソルビシンを投与して筋肉へのダメージが生じたマウスは筋肉組織の酸化ストレスが高くなっていることが明らかになりました。
また、N-アセチルシステインという抗酸化物質を投与すると酸化ストレスが軽減して筋肉組織へのダメージが抑えられ、筋力や持久力の低下が軽減されたことも明らかにしています。
水素吸入が抗がん剤治療による筋肉損傷を改善する可能性
この研究は動物実験をもとにしているため、ヒトに対しても同様の効果があると断言できる段階ではありません。しかし、抗酸化物質の投与で筋肉組織の酸化ストレスが減少し、運動機能が回復したことが明らかになりました。
水素吸入も効率よく活性酸素を除去できるため同様の効果がある可能性は期待できます。今後はヒトを対象として研究が進展し、さらなる解明が進むことを期待しましょう。
【私はこう考える】水素吸入と抗がん剤治療による筋肉損傷
今回ご紹介した2つの論文から、抗がん剤治療による抗がん剤治療による筋肉損傷について次のようなことが示唆されました。
- 筋肉損傷の発症には活性酸素(酸化ストレス)が関係している
- 水素分子や抗酸化物質の投与で筋肉損傷が予防、改善できる
2024年に発表された総説論文は、抗がん剤による様々な組織へのダメージの予防に水素分子が役立つ可能性を示す非常に有益な結果が示されたと考えます。水素分子の効果を検証した研究はサンプル数が少なく効果を提唱するにはやや根拠に乏しい部分もあるため、このような総説論文は水素吸入の効果を検証する上でも重要な役割を持つと考えます。
また、2011年に報告された研究結果は動物実験ではありますが、抗がん剤治療に治療によって生じた筋肉損傷と抗酸化物質の関係を示しました。筋肉損傷の副作用に対する新たな治療法を見出す一歩となりうる結果と言えます。
今後はヒトを対象として多くの抗がん剤で同様の効果が示されるのか、さらなる研究の進展に期待します。
参考文献
- Hirano, S. I., & Takefuji, Y. (2024). Molecular Hydrogen Protects against Various Tissue Injuries from Side Effects of Anticancer Drugs by Reducing Oxidative Stress and Inflammation. Biomedicines, 12(7), 1591. https://doi.org/10.3390/biomedicines12071591
- Gilliam, L. A., & St Clair, D. K. (2011). Chemotherapy-induced weakness and fatigue in skeletal muscle: the role of oxidative stress. Antioxidants & redox signaling, 15(9), 2543–2563. https://doi.org/10.1089/ars.2011.3965