《この記事の執筆者》
名古屋大学医学部卒業後、名古屋大学医学部附属病院放射線科入局。その後、放射線科医として一般的な読影や放射線治療を担当。コロナ禍では保健所で行政の立場から感染症対策にも携わった。現在は、放射線治療に携わる一方、健康診断クリニックにて健康診断を受ける方の診察や結果の説明、生活指導に従事。医学博士、放射線治療専門医、日本人間ドック・予防医療学会認定医、日本医師会認定産業医。
がん治療における放射線療法は、時に脊髄にダメージを与え、「放射線性脊髄症」というまれな神経疾患を引き起こします。
この症状に対する根本的な治療法はまだ確立されていませんが、近年注目されているのが「水素吸入療法」です。
水素には強力な抗酸化作用があり、放射線による酸化ストレスや炎症を軽減する効果が期待されています。
本記事では、放射線性脊髄症の概要から水素吸入が放射線性脊髄症の予防・改善にどう役立つのか、最新の研究結果をもとに詳しく解説します。放射線治療を受けられる方にとって役立つ内容となっているので、ぜひ最後までご覧ください。
放射線性脊髄症の概要
放射線性脊髄症とは、がん治療において使用される放射線が脊髄にダメージを与えることで発症するまれな神経疾患です。1)
首や食道、肺などのがんに対する放射線治療後、数か月から数年後に発症し、神経症状が現れます。
特に、頸部や胸部の脊髄が照射範囲に入る場合にリスクが高まり、時には命に関わることもあります。 2)
放射線性脊髄症の主な原因
放射線性脊髄症は、放射線によって脊髄の組織が損傷し、炎症や線維化が進行することが原因です。
放射線の線量が多いほど、また照射範囲が広いほどリスクが高まります。
また、患者の体質などによっても発症のリスクが異なるので、注意が必要な副作用と言えます。3)
放射線性脊髄症の主な症状
症状は放射線のダメージを受けた部位によって異なりますが、主に手足のしびれや感覚異常、筋力低下、運動麻痺が初期症状として現れます。
進行すると、歩行困難や排尿・排便障害などが加わり、生活の質に大きな影響を与えます。3)
これらの症状は、治療を行っても完全には回復しないことが多く、長期にわたるリハビリが必要になることがあります。
放射線性脊髄症の標準的な治療や対策
標準的な治療法としては、炎症を抑えるために副腎皮質ステロイドが用いられますが、効果は限られています。
ワルファリンという薬剤や高圧酸素療法が一部の患者に対して有効であることが報告されていますが、現在のところ根本的な治療法は確立されていません。 症状の進行を抑えるためには早期発見と治療が重要です。1)
現状では、放射線性脊髄障害を防ぐために、原則的には耐用線量(たいようせんりょう)という放射線量を守って放射線治療が行われています。
しかし、病気が脊髄の近くにあったり、化学療法を同時に行ったりした場合には、放射線性脊髄症が発生してしまうこともまれにあります。今後、放射線性脊髄症を発症させないための確実な予防策について、さらなる解明が求められています。
水素吸入は放射線性脊髄症の予防・改善に効果はある?
水素吸入療法が放射線性脊髄症に対して有効である可能性は、主に動物実験を通じて示されています。
放射線治療後に脊髄に発生する酸化ストレスや炎症が神経細胞にダメージを与えることが知られており、水素分子がこれらを軽減することで神経細胞を保護する効果が期待されています。
水素は、特に活性酸素を除去する強力な抗酸化作用を持ち、放射線によって引き起こされる損傷を緩和する可能性があります。4)
放射線性脊髄症の予防の可能性
動物実験では、水素吸入によって脊髄の酸化ストレスや炎症反応が抑えられた結果、神経細胞の損傷が軽減されたことが報告されています。
例えば、放射線を受けたラットに水素を豊富に含む生理食塩水を投与した研究では、アポトーシス(細胞死)の抑制と神経機能の保護が確認されました。水素分子は非常に小さく、細胞膜を通過してミトコンドリアに直接作用し、エネルギー代謝をサポートするため、神経細胞の生存率を向上させると考えられています。4)
このため、水素吸入は放射線性脊髄症の予防に役立つ可能性が高いと考えられます。水素吸入はがん治療中の酸化ストレス軽減の補助療法として、将来的に標準的な予防手段としての導入が期待されています。
放射線性脊髄症の症状改善の可能性
水素吸入療法は、放射線性脊髄症の進行を抑え、症状改善に寄与する可能性も報告されています。
動物モデルを使用した実験では、水素を豊富に含む生理食塩水が、放射線治療後のラットで運動機能を改善し、感覚麻痺や筋力低下などの症状を軽減する効果が確認されました。5)
また、水素は抗炎症作用を持つため、放射線によって引き起こされる炎症反応を抑えることで、長期的な神経損傷の進行を遅らせることが期待されています。4)
特に、慢性的な神経症状が残る患者に対して、水素吸入が補助療法として用いられることで、リハビリテーションの効果を高め、生活の質(QOL)の向上に寄与する可能性が考えられます。
放射線性脊髄症における症状緩和のための治療手段として、今後さらなる研究が期待されています。
【私はこう考える】水素吸入と放射線性脊髄症
現時点での研究結果から、水素吸入療法は放射線性脊髄症に対する有望な補助療法と考えられますが、まだ臨床的エビデンスが十分ではありません。
動物実験や初期の研究では、酸化ストレスを軽減し、神経細胞を保護する作用が示されています。しかし、これらの効果をヒトに適用するためには、さらなる大規模な臨床試験が必要です。特に、放射線性脊髄症のように治療オプションが限られている疾患においては、新しい治療法としての水素吸入の導入が期待されますが、現状では標準治療と併用する補助療法として慎重に活用すべきです。
放射線性脊髄症の患者の個別の状況に応じて、主治医と相談しながら水素療法の利点やリスクを十分に理解することが重要です。今後、ますます研究が進み、現在の治療法の効果を高める役割を担うことが期待されます。
参考文献
- 5 年の寛解期の後に再発した遅発性放射線脊髄症の 1 例.臨床神経.2010;50:393‐398.
- Radiation Myelopathy – an overview | ScienceDirect Topics
- 放射線療法による神経系の損傷 – MSDマニュアル家庭版
- Hu Q, Li Y, Lin Z, Zhang H, Chen H, Chao C, Zhao C. The Molecular Biological Mechanism of Hydrogen Therapy and Its Application in Spinal Cord Injury. Drug Des Devel Ther. 2024 Apr 29;18:1399-1414. doi: 10.2147/DDDT.S463177. PMID: 38707612; PMCID: PMC11068043. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC11068043/
- Chen C, Chen Q, Mao Y, Xu S, Xia C, Shi X, Zhang JH, Yuan H, Sun X. Hydrogen-rich saline protects against spinal cord injury in rats. Neurochem Res. 2010 Jul;35(7):1111-8. doi: 10.1007/s11064-010-0162-y. Epub 2010 Mar 31. PMID: 20354783. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20354783/