吸入した水素は全身に届くか?ブタで体内動態を初めて追跡
結論
ブタに水素ガスを1回吸わせ、動脈と静脈の3か所で血中の水素濃度を追跡。動脈血の水素は吸入直後にピークに達し、約1.5分で半分に減少した。
一方、静脈血の水素は緩やかに低下し、1時間後も残存していた。水素は血流に乗りながら全身の組織に届き、そのおよそ6割が肝臓で消費されることが初めて示された。
研究の背景と目的
水素ガスの吸入が生体に有益な効果をもたらす可能性は、多くの動物実験や臨床試験で報告されてきた。しかし、吸入した水素が体内でどう移動し、どこで消費されるのかはわかっていなかった。
ラットの先行研究では、組織に針状のセンサーを直接刺して水素を測定していた。しかしこの手法は応答が遅く、短時間の濃度変化を捉えにくかった。そこで慶應義塾大学を中心とする研究チームは、ブタの血管にカテーテルを留置し、血液を直接採取して水素濃度を測定する方法を開発した。
研究方法
体重約22 kgの雌ブタ2頭を用い、全身麻酔下で以下の実験を行った。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象 | 雌ブタ2頭 (体重 22.4 kgと22.0 kg) |
| 水素吸入条件 | 水素吸蔵合金(水素を吸収・放出できる金属)から発生させた100%水素ガスを肺に充填し、約30秒間の息止めを再現 |
| 血液採取部位 | 頸動脈(CA) 門脈(PV) 肝臓上部の下大静脈(IVC) の3か所にカテーテルを留置 |
| 測定時点 | 息止め直後、3分、10分、30分、60分後 |
| 測定方法 | 採取した血液をバイアルに封入し、ガスクロマトグラフィーで水素濃度を測定 |
| 研究デザイン | 前臨床研究(動物実験)。各ブタで1回ずつ水素を吸入し、それを2回繰り返して再現性を確認 |
実験に使用した水素充填装置を以下に示す。

主な評価指標は以下の3つである。
- 血中水素濃度(血液に溶けている水素ガスの量。単位はnL/mL)
- 半減期(水素濃度がピーク値の半分に低下するまでの時間)
- 定常状態の水素濃度(腸内細菌が産生する水素に由来する、吸入前の基準値)
研究の主な結果
本研究の結果から、以下の3点を取り上げる。
- ① 動脈血中の水素は吸入直後にピークに達し、約1.5分で半減する
- ② 静脈血中の水素は動脈より緩やかに減少し、1時間後も残存する
- ③ 門脈血中の水素の約6割は肝臓で消費される
① 動脈血中の水素は吸入直後にピークに達し、約1.5分で半減する
100%水素を1回吸入した直後の水素濃度を、動脈血(頸動脈)と静脈血(門脈・下大静脈)で比較した。
| 測定部位 | ピーク濃度の範囲 | 動脈血ピークに対する比率 | 半減期 |
|---|---|---|---|
| 頸動脈 (動脈血) | 5000〜11000 nL/mL | ― | 約92秒 (約1.5分) |
| 門脈 (静脈血) | 動脈血の約40% | 40% | 約310秒 (約5分) |
| 下大静脈 (静脈血) | 動脈血の約14% | 14% | 約350秒 (約6分) |
動脈血の水素は吸入直後が最も高く、3分後にはピークの約1/40まで急落する。半減期は約92秒である。
つまり、吸い込んだ水素はわずか数分でほとんどが血液から消え、周囲の組織に取り込まれていく。
門脈と下大静脈のピーク濃度は動脈血の約40%と約14%にとどまった。肺で吸収された水素は動脈血に乗って全身へ送り出されるが、組織を通過するうちに大部分が取り込まれ、静脈に戻る水素は大幅に減る。
② 静脈血中の水素は動脈より緩やかに減少し、1時間後も残存する
吸入から10分後と60分後に、3か所の水素濃度がどう変化するかを確認した。
| 時点 | 濃度が最も高い部位 | 濃度が最も低い部位 |
|---|---|---|
| 吸入直後 | 頸動脈(動脈血) | 下大静脈 |
| 10分後 | 下大静脈 | 頸動脈 |
| 60分後 | 門脈・下大静脈(残存) | 頸動脈(ほぼ消失) |
吸入直後は動脈血の濃度が最も高いが、10分後には順位が逆転し、静脈血のほうが高くなった。60分後には動脈血の水素はほぼ消失した(約2.5 nL/mL)のに対し、門脈と下大静脈では定常状態より高い濃度が維持されていた。
この逆転は、水素が単に血液中を流れているだけではないことを示している。組織に取り込まれた水素が、時間をかけて静脈血に放出されていると考えられる。
つまり、1回の吸入でも水素は1時間にわたり体内の組織にとどまり続ける。
③ 門脈血中の水素の約6割は肝臓で消費される
門脈と下大静脈の水素濃度を比較することで、肝臓での水素消費量を推定した。
肝臓には2つの血液供給経路がある。門脈(腸などの消化器官から肝臓へ向かう静脈)から約75%、肝動脈から約25%が流入する。
この門脈血が肝臓を通過するあいだに、水素の約64%が消費されていた。肝臓は体内で最も大きな臓器であり、代謝や解毒など多くの機能を担う。水素の大部分が肝臓で消費されるという結果は、水素が素通りするのではなく、代謝反応に関与していることを示唆している。
なお、吸入前の定常状態でも門脈血中にはわずかな水素が検出された(67 nL/mLおよび8.8 nL/mL)。これは腸内細菌が食物繊維を発酵する際に産生する水素に由来するもので、個体差が大きかった。
考察と今後の課題
酸素はヘモグロビンに結合して運ばれるが、水素はそうではない。水素は血漿(けっしょう:血液から赤血球などの細胞を除いた液体成分)に溶けた状態で血流に乗り、血管壁を通じて周囲の組織に広がりながら消費される。
この「血流で運ばれながら組織に広がる」動き方を、専門用語で「移流拡散」と呼ぶ。体内に水素を蓄える仕組みはなく、移流拡散という移動形態を実証した点が、本研究の最大の意義である。
ただし、本研究は2頭のブタを用いた前臨床研究であり、サンプル数が限られている。水素がどのような仕組みで代謝されるのかも明らかになっていない。今後は、水素が体内のどこに作用するのかを突き止めることが第一の課題である。加えて、吸入時間や濃度の違いが体内での動きにどう影響するかの検証も求められる。
すいかつねっと編集部の感想
本研究は「吸入した水素が体の中でどう動くのか」を、動脈・門脈・下大静脈という3か所で同時に追跡した初めての報告です。水素吸入の効果を語る研究は数多くあります。しかし「そもそも水素はちゃんと体に届いているのか」という根本的な疑問に答えた研究は、本報告が初めてです。
特に注目したいのは、1回の吸入でも水素が1時間にわたり組織に残存するという発見です。飲んだ水素は肝臓には届くが全身には届きにくいことを示した関連研究と合わせて読むと、水素の「吸入」と「飲水」では体内での届き方が大きく異なることがわかります。
本論文の研究グループは慶應義塾大学を中心としたチームであり、心停止後の患者に対する水素吸入の臨床試験(HYBRID II試験)の結果を報告しています。動物実験で得られた体内動態の知見が、臨床応用の科学的な土台になっています。
用語解説
| 用語 | 解説 |
|---|---|
| 体内動態(薬物動態) | 薬や物質が体に入った後、どのように吸収・分布・代謝・排泄されるかを追跡する研究分野 |
| 移流拡散 | 血液の流れ(移流)に乗って運ばれながら、周囲の組織に広がる(拡散)こと。水素は酸素のようにヘモグロビンに結合せず、この仕組みで全身に届く |
| 頸動脈(CA) | 首の左右を通る太い動脈。心臓から脳へ血液を送る。動脈血中の水素濃度を測ることで、肺から吸収された直後の水素量がわかる |
| 門脈(PV) | 腸などの消化器官から集めた血液を肝臓に送る特殊な静脈。肝臓の血液供給の約75%を担う |
| 下大静脈(IVC) | 下半身の血液を心臓に戻す体内で最も太い静脈。肝臓の上部で血液を採取することで、肝臓を通過した後の水素濃度がわかる |
| 半減期 | ある物質の濃度がピーク値から半分に減少するまでの時間。短いほど体内から速く消えることを意味する |
| ガスクロマトグラフィー | 気体に含まれる成分を分離・定量する分析手法。本研究では血液中に溶けた水素ガスの濃度測定に使用 |
| 水素吸蔵合金 | 水素を吸収・放出できる金属合金。本研究ではビーチボールに100%水素を充填する際の水素発生源として使用 |
論文情報
論文タイトル
Pharmacokinetics of a single inhalation of hydrogen gas in pigs(ブタにおける水素ガス単回吸入の薬物動態)
引用元

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