《この記事の執筆者》
名古屋大学医学部卒業後、名古屋大学医学部附属病院放射線科入局。その後、放射線科医として一般的な読影や放射線治療を担当。コロナ禍では保健所で行政の立場から感染症対策にも携わった。現在は、放射線治療に携わる一方、健康診断クリニックにて健康診断を受ける方の診察や結果の説明、生活指導に従事。医学博士、放射線治療専門医、日本人間ドック・予防医療学会認定医、日本医師会認定産業医。
放射線治療を受ける方にとって、放射線性胃炎は無視できないリスクの一つです。胃や他の臓器への放射線照射が原因で、約30〜50%の患者に発症するこの症状は、腹痛や吐き気、体重減少といった深刻な影響を及ぼします。
そこで近年注目されているのが「水素吸入療法」です。抗酸化作用が放射線による細胞損傷を軽減し、胃炎の予防や症状緩和に役立つ可能性が示唆されています。
本記事では、放射線性胃炎の基礎知識に加え、水素吸入がどのように放射線性胃炎に効果を発揮するのか、最新の研究をもとに詳しく解説します。
放射線性胃炎について
放射線性胃炎は、放射線治療の際に起こる胃の障害のことです。
胃のがんに対する放射線治療だけでなく、食道や胃、胆道、膵臓、精巣の腫瘍に対する放射線治療などでも、放射線性胃炎が起こる可能性があります。
放射線治療を受ける患者のうち、約30~50%に発生するといわれています。1)
そして、放射線性胃炎は、放射線治療をしてから約2~9カ月後に発生するといわれています。2)
ここでは、まず、放射線性胃炎の主な原因や症状について解説します。
放射線性胃炎の主な原因
放射線性胃炎の発症は、放射線による胃の内壁の炎症や細胞の死が加速することが主な原因と考えられています。
放射線が当たると、細胞には大量の活性酸素種 (ROS) が生成されます。生成されたROS は DNA とタンパク質に損傷を与え、細胞の突然変異や老化、細胞死が起こります。単核マクロファージという免疫細胞は老化細胞と死んだ細胞を貪食し、炎症性サイトカイン (IL-1、IL-6、TNF-α) を放出します。これらのサイトカインによって、さらに細胞の死が加速します。3)
以上のようなメカニズムによって、胃の内壁の急性炎症が引き起こされると考えられています。そして、炎症によって進行性の血管障害が起こります。さらに、潰瘍の形成、虚血、毛細血管拡張症も引き起こされることがあります。2)
放射線性胃炎のリスクには、照射線量が多いこと、化学療法との併用、肝硬変や消化管出血などがあります。3)
放射線性胃炎の主な症状
放射線性胃炎の主な症状は以下の通りです。1)
- 腹痛と腹部のけいれん
- 膨満感
- 下痢
- 食欲不振
- 吐き気と嘔吐
- 意図しない体重減少
- みぞおちの痛み
症状の重症度は軽度の間欠的な腹痛から、入院を必要とする生命を脅かす疾患まで幅広く見られます。3)
放射線性胃炎の標準的な治療
放射線性胃炎の治療には、まずは対症療法が行われます。
対症療法として、制酸薬やプロトンポンプ阻害薬(PPI)などの薬剤が一般的に使用され、胃酸分泌を抑えて胃粘膜の炎症や潰瘍を緩和します。また、胃粘膜の保護を促すための薬剤や、吐き気や嘔吐を抑えるための抗吐剤も活用されます。さらに、栄養状態の改善も治療において重要であり、適切な栄養管理が症状の軽減と治癒を促します。
重症例や標準的な治療で効果が見られない場合には、内視鏡的治療や外科的介入が検討されることもあります。例えば、出血を伴う潰瘍がある場合、内視鏡的止血術が必要となることもあります。
水素吸入は放射線性胃炎の予防・改善に効果はある?
水素吸入療法は近年、抗酸化作用を持つ可能性が注目され、放射線による組織損傷の緩和に期待が寄せられています。
放射線が体内で引き起こす酸化ストレスは、放射線性胃炎の発症において重要な役割を果たし、酸化ストレスによる細胞損傷が胃粘膜の炎症や細胞死を促進し、症状を悪化させる可能性があります。
水素分子は体内で酸化ストレスを軽減し、細胞損傷を抑制する能力があるとされています。4)
ここからは、水素吸入が放射線性胃炎の予防や症状改善に役立つかどうかについて解説します。
放射線性胃炎の予防の可能性
水素ガスは腸組織内の酸化ストレスや炎症反応を緩和することで放射線誘発性の胃腸損傷に対する保護効果をもたらすことが示されています。
動物モデルではありますが、細胞のアポトーシスを減少させ、腸のバリア機能を維持することで放射線防護剤として機能する可能性があることが示されています。5)
水素の投与方法は、水素水を動物に与えることが主となっています。水素吸入療法は、特にヒトに対しては現時点では研究が進められている段階となっています。
放射線性胃炎の症状改善の可能性
放射線性胃炎の症状改善に関しても、水素吸入療法の潜在的な効果が研究されています。
放射線治療後に胃の炎症や潰瘍が発生した際、水素の抗炎症作用や組織修復促進効果が考えられる可能性があります。動物実験では、水素が胃粘膜の炎症を軽減し、細胞の再生を促進する作用が確認されています。5)
また、水素は細胞のアポトーシス(細胞死)を抑制する作用があり、これが胃粘膜細胞の生存率を高める可能性があります。さらに、胃粘膜の血流改善や酸化ストレスの軽減、胃炎の症状緩和につながる可能性もあります。
【私はこう考える】水素吸入と放射線性胃炎
水素の抗酸化作用や細胞保護効果に関する研究から、放射線性胃炎の予防症状や緩和に対する潜在的な有用性が示唆されています。
放射線性胃炎は放射線治療の副作用として避けられないケースも多く、患者のQOLを向上させるためには症状の緩和が重要です。
水素が放射線性胃炎の予防・症状改善に役立つ可能性については、上述したように動物実験で示されています。ただし、いずれも動物実験であること、水素水が用いられていることから、水素吸入が実際にどの程度放射線性胃炎に効果があるのかは、まだ未知数です。
治療法に対する補完的なアプローチとして、今後の研究によってその有効性が確認されれば放射線性胃炎の治療や予防に新たな選択肢を提供する可能性があります。
今後も、水素吸入療法に関する研究が進み、現時点での標準的な治療法と併用してくことで、放射線性胃炎の予防や症状緩和に役立つことが期待されます。
参考文献
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